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ブランド買取のOKURA(おお蔵)トップ コラム ドイツの名門、ランゲ&ゾーネ(A.LANGE&SOHNE)という時計②
ドイツの名門、ランゲ&ゾーネ(A.LANGE&SOHNE)という時計②
2022年07月06日

前回までのあらすじ。
フェルディナント・アドルフ・ランゲ氏が1845年、ドイツはグラスヒュッテに工房を設立。ランゲ氏は幼い頃より時計の知識を学び、有名な時計技師に弟子入りをする。師匠との時計修行から帰国し、祖国復興のためのアイデアとして時計産業を主体とした街づくりを提案し見事採用される。
2人の息子と共にドイツの時計産業を牽引し、パリの万国博覧会に出品。世界的な知名度と名声を手にし、名誉ある勲章を授与するも、創業者のランゲ氏が60歳と早すぎる死を迎えてしまう。

創業者の意思と伝統を受け継いだ2人の子供たちにより、更なる発展を続けたが、1939年の第2次世界大戦において工房のあるドイツが戦火に見舞われてしまった・・・。

ここまでが前回ご紹介いたしました内容です。
類稀なる技術と伝統を誇ったランゲ&ゾーネが、時代の大きな負の渦に巻き込まれてしまいました。
果たしてランゲ&ゾーネに待ち構えているものは何なのか・・・。

続きをどうぞ。


④時代に翻弄されるランゲ一族と不遇の時代

(画像引用:germanwatch)エミール氏の息子たち。真ん中がルドルフ・ランゲ氏

戦争が勃発する前の1924年、エミール氏の次男であるルドルフ氏の息子で、ウォルター・ランゲ氏が生まます。ウォルター氏もまた、時計への深い愛情と興味を持つ幼少期を過ごしていました。
父親であるルドルフ氏が、毎日仕事の為に時計工房へ向かう姿を見ることが日課であり、またそんな仕事へと向かう父親についていくことが大好きであったそうです。そうしてウォルター氏は、いつしか父親のような時計技師を志すようになります。

1941年にはウォルター氏たっての希望で、オーストリアにある当時有名な時計技師養成学校に入学します。しかし、1939年に勃発した第2次世界大戦の影響もあり、当初のオーストリアは大きな被害を受けることはありませんでしたが、首都ウィーンは度々空襲の標的となり、後にオーストリア領域も戦場となってしまい、ウォルター氏の時計技師としての始まりは厳しい時代と共に動き始めました。

戦争がはじまると、ランゲ一族が経営していた時計工房は政府系の資本を受けていたこともあり、ドイツ軍の指定工場に任命され、軍用時計の製造を行っておりました。元々は貧困を救済及び町おこしの為に創業者のランゲ氏が政府と契約を交わしており、グラスヒュッテはその功績により世界有数の時計産業地帯へと成長しました。
しかし、軍の指定工場に任命されたことや、グラスヒュッテで製造される軍用時計は高精度な時計だったため、ランゲ&ゾーネを始めとする時計産業地帯が皮肉にも敵国からは軍需産業地帯という見られ方をしてしまうことになってしまい、標的の1つとなってしまったのです。
結果、終戦が目前に控えていた前夜の1945年5月に空襲の直撃を受けてしまい、本社工房はほぼ全焼状態になってしまいました。

長い戦争の中、ウォルター氏は入学していた学校を一時休学状態でした。終戦後、ウォルター氏も何とか無事に卒業を迎えることとなり、全焼してしまった本社工房を一族みんなが集結し、力を合わせて再建を目指しました。しかし、最後の悲劇が待ち受けていました。
1948年、ドイツは東西に2分されました。東ドイツは社会主義国となり、ランゲ&ゾーネは東ドイツの占領下だったため設備や資産の全てを取り上げられてしまいました。工房を始めとした全ての資産をなくしたランゲ一族に、国はウラン工場で働くというまさかの強制労働の命令を下しました。

ウランという言葉に聞き覚えがある方も多いと思いますが、ウランは原子力発電所の燃料として使われており、当時のウラン工場での労働は被ばくして死ぬ可能性が高かったため非常に危険な仕事として知られていました。
この事態を重く受け止めたランゲ一族は、強制労働から逃れるためにやむを得ず西ドイツへの亡命を決意し、ベルリンの壁の西側、西ドイツの領土であるプフォルツハイムへと向かいました。
これにより、創業者のランゲ氏から始まり、100年以上の歴史と伝統を培ってきたランゲ&ゾーネというブランドは、時計界から消滅してしまいました・・・。


⑤絶やさなかった伝統と諦めなかった心が生んだ奇跡

(画像引用:公式HP

西ドイツへの亡命を果たした当時の4代目当主であったウォルター・ランゲ氏。
亡命したあとも故郷であるグラスヒュッテのことやランゲ&ゾーネのことを忘れることはありませんでした。ウォルター氏はランゲ一族が成し遂げた偉大なる伝統と歴史を何としても再興させるべく、亡命先のプフォルツハイムにて時計工房を設立しました。
地道な歩みが功を結び、1960年代に入るとインターナショナルウォッチカンパニー(通称:IWC)との協力関係を築きました。IWCからの協力の元、再興を目指しましたが、1969年に始まったクォーツショックにより、あえなく頓挫してしまいました。

クォーツショックは長きにわたり機械式時計が通常であった時計業界において、クォーツ式時計という新たなジャンルの時計が登場したことにより様々な時計事情が覆ることになりました。例に漏れず、ランゲ&ゾーネも懐中時計時代より長らく機械式時計の製造を行っていたため、クォーツショックは機械式時計を扱うドイツやスイスの時計ブランドに多大なる打撃を与えました。
世界最古の時計ブランドであるブランパンは営業休止に、協力関係にあったIWCも倒産寸前にまで追い込まれました。この影響は1970年代から1980年代後半まで続き、その間に大半の機械式時計ブランドは姿を消すことになってしまい、ランゲ&ゾーネも再度の休止に追い込まれてしまいました。

しかし、ウォルター氏を始めとしたランゲ一族が築いてきた時計の伝統、そして再興を諦めなかった不屈の心が、実を結ぶ時がやってきました。
1989年10月、ランゲ&ゾーネの本社工房があった東ドイツの人々による反政府デモが活発になっていき、デモ参加者が増えたことにより、11月9日の夜に政府が声明を発表。

「ただいまをもって、東ドイツに住む全ての国民は自分の好きなところへ旅行をしても良いものとする」

これにより、事実上の東西を隔てていた壁の意味がなくなったことを示したため、多数の市民がかの有名なベルリンの壁を訪れ、喜びを露わにしながら壁の破壊がされ始めた。
翌年の1990年10月、東西に分かれていたドイツは再び統一され、91年にはベルリンの壁を作ったソ連が崩壊したことで、長きにわたる冷戦が終結しました。

ウォルター氏を始めとしたランゲ一族は、これは再びランゲ&ゾーネを再興するための千載一遇のチャンスであると考えました。そして、それに賛同してくれたのが、クォーツショックの前に共に協力関係にあった時計ブランドであるIWCの社長(一時期はジャガー・ルクルトも兼任していた)ギュンター・ブルームライン氏でした。
ドイツ再統一がなされた直後の12月、ウォルター氏はランゲ&ゾーネ再興の第一歩となる会社を設立。【A.ランゲ&ゾーネ】を商標登録し、ギュンター・ブルームライン氏がCEOに就任することとなりました。
なお、会社設立日は正確には12月7日とされております。12月7日というのは、ランゲ&ゾーネの全てが始まったあのグラスヒュッテに時計工房をランゲ氏が開いた日でもあり、2つの意味で歴史的な日となりました。

後に、ウォルター氏はギュンター・ブルームライン氏について、こう語っています。
『彼がいなければ、A.ランゲ&ゾーネは存在しなかったでしょう。そして、グラスヒュッテが再びドイツ高級時計製作の中心地になることもなかったでしょう』

また、ギュンター・ブルームライン氏もまた、ランゲ&ゾーネというブランドに対して、こう語っています。
『A.ランゲ&ゾーネの時計は、時計師の機構と工芸技能にかける情熱、見まがいようのないブランド独自のスタイルと豊かな歴史が融合した総合芸術作品です』

同じ時計を扱う者同士、数々の世界的社会事情により翻弄され続けながらも、志や時計に対する精神を忘れずに持ち続け、最後まで諦めなかったウォルター氏とギュンター氏。2人の存在は間違いなく、時計界にとって偉大なる存在であることがお分かりいただけるコメントかと思います。


⑥再興のきっかけとなった最高傑作。ランゲ1

ランゲ&ゾーネは、時代背景の影響もあり懐中時計のみを製造していました。そのため、時代が懐中時計から腕時計全盛期へと移り変わっていたため、ランゲ&ゾーネも腕時計の製造が必須となりました。
そこでウォルター氏は、グラスヒュッテに残っていた時計技師たちに声をかけ、中でも優秀な技師を集めました。集まった15名の技師たちをギュンター氏の計らいの元、IWCの時計工房へと向かわせました。IWCはすでに腕時計の製造に精通しており、技術力や精度も高品質。
そんな最高級の機械式時計とはどういう作りなのか、こうした初歩段階から学ばせることで、時計技師たちを職人として育てるために学ばせました。

1990年代は時が進むにつれ、次第にクォーツショックの影響も落ち着いてきました。
以前ご紹介したウブロ(HUBLOT)のコラムでも登場しました、時計界のスティーブ・ジョブズと名高いジャン=クロード・ビバー氏は

『今はクォーツ時計が主流であっても、機械式時計の時代は必ずまた戻って来る』

と予想し、ブランパン在籍時は毎年欠かさず機械式時計を発表し、デザインのディテールにもこだわった名機を作り続けていました。
その予想は見事的中しました。機能や精度だけでなく、芸術性の高いそのデザインが評価され始め、再び機械式時計が返り咲きつつあった時代でした。
時計業界事情がランゲ&ゾーネ再興を後押しするような状況となり、1994年には遂に新生A.ランゲ&ゾーネの再興モデルとなる4つのモデルを発表しました。ドイツの名門時計ブランドが復活したというニュースは一躍世界の話題となり、そのコレクションも瞬く間に世界中の時計愛好家たちの耳に届き、A.ランゲ&ゾーネとしての時代が始まりました。
この時、ウォルター氏は70歳。長年の悲願がようやく達成されました。

この時に発表された4つのモデルは、今なお様々な改良が加わりながら進化を続けて販売されているモデルもあります。
特に最も話題と人気を呼んだモデルが、ランゲ1と呼ばれるモデルであり、A.ランゲ&ゾーネの代表モデルになり、現在では正規店で目にすることが難しいほど。以前私が都内の正規店に出向いた際には予約をしたうえで3週間以上の待ちが必要と言われました。また、この期間というのは予約数に応じて増減するため、今後の予約数によっては更なる期間を要する、または予約打ち切りということもあり得るそうで、登場から30年近くが経つ現代でもその人気が伺えるかと思います。

「ランゲ1」「サクソニア」「アーケード」「トゥールビヨン プール・ル・メリット」
これら4つのモデルをランゲ&ゾーネ発祥の地であるドレスデンの宮殿にて発表しました。これらの時計は年間123本製造して世に出しましたが、蓋を開けてみると世界中から高い賞賛と受注を請けることとなり、世界がA.ランゲ&ゾーネの再興を祝しました。

次回、見事に再興を果たすことに成功したランゲ&ゾーネ。更なる技術向上と高品質な時計を生み出すも、突然の悲劇が訪れた。
一体、どんな悲劇が起きてしまったのか・・・。

投稿者プロフィール

小山 亮介
OKURA事業部、販促企画担当。
大学卒業後、接客業を経てOKURAへ入社。
youtuberの時計企画で時計の魅力に染まり、店舗在籍時は時計担当に従事。
好きなブランドはウブロ、ヴァシュロン・コンスタンタン、ランゲ&ゾーネ、ロレックス
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