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ブランド買取のOKURA(おお蔵)トップ コラム 世界最古にして最高峰。ヴァシュロン・コンスタンタンについて①
世界最古にして最高峰。ヴァシュロン・コンスタンタンについて①
2022年08月01日

前回ご紹介致しました、ランゲ&ゾーネの記事はお読み頂けましたでしょうか?
歴史と伝統を受け継いで今なお輝き続ける高級時計ブランドです。私の憧れの1つでもある為、記事を書きながら更なる勉強もできましたし、より詳しい部分に触れられたこともあってとても有意義な時間に感じました♪

さて、今回の記事ですが。
1つ目のランゲ&ゾーネの記事冒頭にも記載いたしました、私の最も好きな3つの時計ブランド。
一番は、革命的なデザインとアイデアで時計界の異端児と呼ばれるも世界的な人気を博したウブロ(HUBLOT)
もう1つが上記にもありますランゲ&ゾーネです。そして最後の1つこそが、今回ご紹介するブランドです。

そのブランドは・・・ヴァシュロン コンスタンタン(VACHERON CONSTANTIN)です。
こちらもランゲ&ゾーネに負けず劣らずの名門中の名門時計ブランドです。もっとも有名なヴァシュロン・コンスタンタンのいわれとして、創業以来一度も途切れることなく続いてきた、時計メーカーとしては世界最古とされるブランドということです。
ブランパンという時計ブランドがありまして、そこはヴァシュロン・コンスタンタンよりも前に創業されましたが、経営上の問題により一時休業となっておりました。そのため、ヴァシュロン・コンスタンタンが世界最古と呼ばれております。

ヴァシュロン・コンスタンタンはパテック・フィリップやオーデマ・ピゲに並ぶ、世界三大時計と呼ばれており、技術力や伝統、ブランドバリューの高さはワールドクラス。モデル次第ではパテックフィリップやオーデマピゲ以上に市場に出回ることが少ない至高の時計であり、世界を代表する時計ブランドでもあります。
また、ヴァシュロン・コンスタンタンは他にはない特徴やデザインをしており、普遍性の少ない独自の文化があり、ヴァシュロン・コンスタンタンでしか味わえない特別さがそこにはあります。

今回は、そんな歴史も奥も深い至高のブランドをご紹介いたします。
早速行ってみましょう!!!

 


①ブランドの始まり。


写真引用:公式HP

ヴァシュロン・コンスタンタンの始まりは1755年、当時24歳のジャン=マルク・ヴァシュロン氏が自身の工房をスイスのジュネーブに開いたことから始まったと言われております。
ヴァシュロン氏は織物職人の父を持ち、更に4人の兄弟を持つ5男の末っ子だったそうです。幼い頃より父親の仕事に関する手ほどきを受けており、手先が器用かつ製造業にとても近い幼少期だったようです。
創業当時、24歳の時点で熟練の時計職人であったヴァシュロン氏は、自身が培ってきた時計に関する技術を後世に残すことを目的とし、最初の工房を創業しました。
当時、とある1人の見習い職人を立派な時計技師として育てるため、彼を自身の工房で働かせることにしました。その際に見習い職人と交わしたとされる、現代でいう雇用契約書こそが、ヴァシュロン・コンスタンタンという時計ブランドの始まりであり、誕生証明書とみなした書類は最も古い文章として記録に残されているそうです。

ヴァシュロン氏が最初に開発した時計は、上記画像にありますシルバーウォッチという懐中時計でした。キー巻き取り式のムーブメントを搭載しており、頑丈で加工がしやすい銀を使用したケースを採用。文字盤にはゴールドの針が使用されておりました。搭載されているムーブメントには、ヴァシュロン氏の刻印がなされており、ヴァシュロン・コンスタンタンの創業者が誰であるかを表しております。
また、お写真ではわかりかねてしまいますが、ムーブメント内部にも上品な模様が施されており、細部にまで高品質高精度な技術を展開しています。これらは全てヴァシュロン・コンスタンタンが設けた高い基準であり、それは現代まで続くブランドの礎になり、世界から高い評価を受けている所以です。

その後もヴァシュロン氏は複雑な機械時計や宝石を使用した宝飾時計など、様々な懐中時計を製造。当時のヴァシュロン氏は【キャビノティエ】という称され方をしていました。
【キャビノティエ】とは、優秀な時計職人を指す総称で、18世紀の時計職人が屋根裏部屋を時計工房として構えて製造していたという歴史があり、皆さんもキャビネットという単語に聞き覚えがございませんか?
キャビネットとはまさしく屋根裏部屋という意味があり、屋根裏部屋の工房で働く時計職人の中でもごく一部の高い技術力や知識とノウハウを持った者が、限られた特別な顧客から特別な注文を受注し、複雑機構や金の彫刻・装飾技法を贅沢に施した、今でいうユニークピースのような時計を製造していました。そういった優秀な彼らに敬意を込めて、キャビノティエという総称が知れ渡ったと言われております。
後にヴァシュロン・コンスタンタンは「レ・キャビノティエ」という部門を作りました。ここで作られた時計には【Piece unique(ユニークピース)】や【Les Cabinotiers(レ・キャビノティエ)】という刻印が施され、この部門で受注・製造されたことを示します。これは、世界で1本しか存在しないという証明でもあり、日本では銀座にあるブティックが窓口となっており、ユニークピースのオーダーを相談することが出来るそうです。

ちなみに、ヴァシュロン・コンスタンタンの会社には時計界における歴史的な資料が多く残っているそうです。
それはヴァシュロンが260年以上もの間、経営を続けてきたからこそ保管できた資料であり、今まで製造されてきた全ての時計モデルの細かな仕様や設計図、ムーブメントパーツのデータなどが残っているんだそうです。
その数や種類は、懐中時計や腕時計、置時計なども含めると約1500、実際に工房で使われていた道具や機器がおよそ800種類ほど、更には当時創業した際に使用していたとされる家具などが大切に保管されているそうです。

 


②代々続く血脈と技術


写真引用:公式HP

ヴァシュロン氏が時計工房で時計技師としての手腕を発揮する最中、5人の子宝にも恵まれていました。その中でも、1760年に生まれた2番目の息子であるアブラハム氏は、ヴァシュロン氏の後を継ぎ事業の指揮を執る役目を担いました。彼もまた、創業者の背中を見て時計職人になることを決意した人物です。
アブラハム氏が後を継ぐと、彼はマニュファクチュールを取り入れることを目指しました。父親のヴァシュロン氏の血を受け継いだアブラハム氏もまた、時計職人としての高度な技術の持ち主で、自社一貫製造となるマニュファクチュールを切り盛りすることが出来ました。

1790年にアブラハム氏は一つの複雑時計を開発しました。文字盤には美しい彫刻が施されていましたが、時計の機能として搭載した機能が当時は珍しい物だったそうです。その機能というのが、日付と曜日を表示する小さなダイヤルでした。
現代の時計では曜日と日付(デイデイト機能)はごくごく一般的で、有名なところですとロレックスのデイデイト、パテックフィリップのノーチラスなどにもよく使われていますが、当時の機能としては非常に珍しかったそうで、それを製造したという技術力が更に評価され、ますます磨きがかかっていきました。
2代目として順調に経営を営んでおりましたが、1789年に勃発していたフランス革命の影響が着々と身近なところへ近づいていたのです。

フランス革命により戦地へ赴いていた革命軍が戦いを通じてスイスを脅かしており、この時にはすでにスイスの首都であったベルンが落とされておりました。やがてフランスの総裁政府軍により、工房を構えていたスイスのジュネーブが併合されてしまいました。
その最中である、1805年に創業者のジャン=マルク・ヴァシュロン氏が死去。享年74歳でした。アブラハム氏の父であり時計の全てを師事した師匠でもあり、ヴァシュロン・コンスタンタンを代表する人物を亡くしてしまいました。
その後もフランス革命やナポレオン戦争等が長く続き、1814年にナポレオンが退位したことにより1815年まで行われた世界会議によりスイスに変換されるまでの間の経営は非常に厳しい状況だったそうですが、資料によるとアブラハム氏は時計職人でありながら、かなりの楽観主義であったそうで、こうした大動乱時代を己の主義と技術で無事に乗り越えたそうです。

フランス革命の最中である1810年に、アブラハム氏の息子であるジャック・バルテルミ氏が会社の後継者として跡を継ぎました。ジャック氏は楽観主義であった父親のアブラハム氏とは違い、大胆かつ野心的な方だったそうです。
祖父が作り上げ、父が大きくしたヴァシュロンという工房をさらに大きくしようと考えたジャック氏は、時計製造の世界へ参入することを決意しました。ただ決意しただけでなく、ジャック氏にはそれだけの自信があったのです。
ジャック氏は繊細かつ大胆なセンスとアイデアを持ち合わせている類い稀な才能をもっており、まず2種類のメロディーを奏でるミュージカルウォッチを製作。更には1時間ごとと15分ごとにチャイムが鳴るミニッツリピーターを製作するなど、その技術力はずば抜けており、現在のヴァシュロン・コンスタンタンというブランドの礎を作ったと言っても過言ではありません。
ジャック・バルテルミ氏は、ヴァシュロン・コンスタンタンの歴史上では欠かせない存在であり、様々な複雑機構を搭載した時計を製作することを得意としていた優秀な時計職人でもありました。そんな彼だからこそ、時計の世界に参入することは夢物語ではなく、結果として国際的なブランドへと成長させる礎を築くこととなりました。

 


③運命の出会いと拡大する規模


写真引用:公式HP

時計製造の世界へ入り、複雑機構を搭載した時計を製作していく中で、ジャック氏はもう一つの考えを持っていました。
それはジュネーブを中心としたスイスでの成功だけではなく、世界に向けてヴァシュロン・コンスタンタンの販路を拡大することでした。世界的な時計製造という世界に参入したことにより、ヴァシュロン・コンスタンタンの知名度は高く、最初は国境を越えた隣国のフランスを舞台に選び、次いでイタリアへの輸出も行うことになりました。これらは見事成功し、販路拡大が順調に進む最中、イタリアでの職務中にその後のヴァシュロン・コンスタンタンを運命づける人物との出会いを果たしました。

その人物こそが、フランソワ・コンスタンタンでした。彼こそが、ヴァシュロン・コンスタンタンのもう一つの名の元となった商人でした。
フランソワ氏は商人の家柄に生まれ、幼い頃より各地を旅しながら経営手腕を磨き上げていき、優秀なビジネスマンとなっていきました。
販路を拡大するにつれて、ジャック氏は会社の経営を続けるには優秀なパートナーが必要であると感じていたところを、別のブランド時計を売り込むためにイタリアに訪れていたフランソワ氏と出会いました。2人は同じジュネーブ出身で同い年でもあり、フランソワ氏は今後の時計界には複雑な機構を搭載しつつ、洗練された時計が必要な時代が来ると考えていたこともあり、すぐに意気投合しました。
ジャック氏はフランソワ氏を会社の共同経営者として迎え入れることを決意し、1819年に社名が変更となりました。
それこそが、現代まで続く社名の元となった【ヴァシュロン&コンスタンタン】でした。

「できる限り最善を尽くす、そう試みる事は少なくとも可能である」

これはフランソワ氏がイタリアへ出張中にジャック氏へ送った手紙の中にあった言葉だそうです。
この言葉は現在の経営理念でもあり、フランソワ氏の時計にかける情熱が感じられる一文ではないでしょうか。
その情熱はビジネスに活かされていき、優れた営業マンとしての能力も持っていた彼は世界各地に赴くと行商を行いました。その結果、ヨーロッパ各地をはじめ、アメリカやアジアへも進出の成功を果たすと同時に、フランソワ氏の進言から当時では珍しかった時計ブランドでありながら宝飾の製作もスタートさせました。
フランソワ氏の活躍により、国際的なブランドへと成長したヴァシュロン&コンスタンタン。王族や貴族など上流階級の顧客も獲得しており、更なる生産が必要となったためある人物が経営に参加しました。
ジョルジュ=オーギュスト・レショーという人物が技術責任者として雇われると、彼は革命的な発明をしました。それが、パンタグラフでした。

パンタグラフとは、機械式時計に使われるパーツを機械的に複写する機器でした。過去の時計製造のほとんどが手作業での製造だったため、形やサイズといった細かな部分に微妙なズレや違いがあったため、必ずしも全てが一致するとは限りませんでした。
ですが、パンタグラフを使用することでパーツを同じ形での転写や拡大縮小が出来るため、さまざまな時計部品をまったく同じように複製・製造が可能となりました。これにより連続しての製造や、生産における一環した品質を確保が出来るうえ、複製が可能になったことでパーツの交換が可能な時計を作ることが出来るようになりました。
この発明により、手作業だった時計製造が工業化へと時代移行したこと、また当時のヨーロッパでは産業革命が浸透し、機械工業が急速に普及していた時代でもあったので、ヴァシュロン&コンスタンタンの生産体制を整えるには十分な追い風となったこともあり、時計製造業界全体にとっても品質や精度が向上し、近代化への進歩を遂げました。

 


本日は一旦ここまで。
次回は更に近代的な時代を背景に、ヴァシュロン・コンスタンタンについてのご紹介をさせて頂きます。
ここから先は皆さんにも馴染みのある名称などが登場するかと思いますので、是非ともお付き合いの程、よろしくお願いいたします。

次回へ続く~

投稿者プロフィール

小山 亮介
OKURA事業部、販促企画担当。
大学卒業後、接客業を経てOKURAへ入社。
youtuberの時計企画で時計の魅力に染まり、店舗在籍時は時計担当に従事。
好きなブランドはウブロ、ヴァシュロン・コンスタンタン、ランゲ&ゾーネ、ロレックス
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