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ブランド買取のOKURA(おお蔵)トップ コラム 世界最古にして最高峰。ヴァシュロン・コンスタンタンについて②
世界最古にして最高峰。ヴァシュロン・コンスタンタンについて②
2022年08月03日

前回までのあらすじ。
1755年にスイスのジュネーブでスタートしたヴァシュロン・コンスタンタン。生み出される時計は細部にまで高品質高精度な技術を展開しており、優秀な時計職人という意味を持つキャビノティエと称された。
息子であるアブラハム氏が事業を引き継ぐと、マニュファクチュールを取り入れ、当時は珍しかったデイデイト機能を搭載した時計を発表。アブラハム氏の息子であるジャック氏も経営に参加し、商人であるフランソワ・コンスタンタンを迎え入れると世界へと販路拡大に成功。社名もヴァシュロン&コンスタンタンへと変更。

以上が前回までの大まかなあらすじです。
創業当時から高品質で高精度な時計を生み出し続けてきたヴァシュロン・コンスタンタン。時代が進むにつれ、更に発展していくこととなります。

それでは、続きをどうぞご覧ください。

 


④新たなる熱と象徴の誕生、最高峰の証


写真引用:公式HP

1844年、ジャック氏の息子であるシャルル・セザール・ヴァシュロン氏が経営を引き継ぐことになりました。優秀な時計職人としてのヴァシュロン一族の血は彼にもしっかりと流れており、様々な才能に恵まれ、父親以上の野心的な熱意を持っていたそうです。
シャルル氏が行ったのは、自社でも行っているマニュファクチュールの開発を世界的に促進させるということでした。すでにマニュファクチュールとして世界に名の知れたヴァシュロン&コンスタンタンの技術力でしたが、市場は現代のようなワールドワイドではなく、あくまで時計事業が盛んに行われている地域が中心となっていたことから、更なる販路はもちろん新たな市場への進出を求めて、国際的な営業活動を行いました。
その中でも当時のアメリカは時計産業も驚異的なスピードで発展していたこともあり、特に量産時計の時代でもありました。

そんな中、ヴァシュロン&コンスタンタンの礎を作った代表であるフランソワ氏が1854年に死去。
1863年にはシャルル氏の父親でもあるジャック氏も亡くなってしまいました。経営はすでにシャルル氏が引き継いでかなりの月日が経っていたこともあり、また亡くなる直前まで優秀な時計職人の教育や事業を維持していたため、廃れることなくヴァシュロン&コンスタンタンは残り続けました。
1875年にはこれまでの事業拡大の影響で現状の工房の規模では限界を迎えようとしていました。兼ねてより手狭になっていたこともあり、亡くなったフランソワ氏の甥にあたるジャン氏が指揮を執って近代的な設備を持つ新社屋を建設しました。
新社屋が建設された地名が「ケ・ド・リル」というジュネーブの市内でした。今もこの建物は当時の姿のまま存在し、現在もブティックと遺産管理室などとして使われているそうです。
一度も途切れずジュネーブで時計製作を続けるヴァシュロン・コンスタンタンの歴史を象徴する重要な建設物となっています。

1880年になると、ヴァシュロン&コンスタンタンは株式会社となりました。それに合わせて社章となるシンボルマークが必要となりました。この時に採用されたものが、あのマルタ十字でした。
時計に使用されていた部品の形が似ていたことや、ヴァシュロン・コンスタンタンが初めて製作した複雑時計の型がマルタ十字だったことが由来と言われております。またマルタ十字は、キリスト教の騎士修道会の聖ヨハネ騎士団がその象徴として用いたマークで、中世の騎士道の精神を表しているそうです。
このマルタ十字はヴァシュロンによって商標登録がなされて、1890年には会社ロゴとして特許を取りました。

新たなシンボルを手にしたヴァシュロン&コンスタンタンは、遂に時計界で最高峰の称号と呼べるものを受けることとなります。
1901年、ヴァシュロン&コンスタンタンが開発したムーブメントが、初めてとなるジュネーブシールの認定を受けました。ジュネーブシールとは、スイス共和国とジュネーブ州により1868年に制定されたもので、規定された基準に基づいた品質規定における最高級スイス時計と認められた時計にのみ与えられる世界最高峰の証です。
ジュネーブシールは非常に高い厳格さのため、現在でも取得しているブランドは決して多くありません。そのため、工業製品に関する査定の中では最も上位とされ、また時計職人たちにとっては世界最高峰の栄誉として名高いものであり、認定されるとムーブメントにジュネーブ市及びジュネーブ州の紋章が刻印されます。
現在でもヴァシュロン・コンスタンタンの時計に搭載されているムーブメントを見ると、この刻印があることがわかります。シースルーバックから見える内部構造はもちろん、その美しい機構に掘られたジュネーブシールはまさに芸術品とも言えるでしょう。

 


⑤激動の時代でも生み出される高い品質と高難易度な製品


写真引用:公式HP

20世紀に入ってからもヴァシュロンは更なる発展を見せます。
1906年に以前建てられた新社屋の中に、初のブティックを開業。本社1階で始まった店内は、高級時計を販売するにふさわしいラグジュアリー感に溢れた内装となっております。こちらは現在の本店と同じ場所でもあります。
同時期に分単位で鐘の音で時報を鳴らすミニッツリピーターを製作。ミニッツリピーターは現在でも時計における世界三大複雑機構の1つとして挙げられており、その歴史も他の2つの機構よりも歴史がある機構と言われており、多くの時計ブランドが挑戦してきた機構です。
こうした開発や高級感溢れる仕上がりを見せる時計は、王侯貴族をはじめ上流階級の顧客を獲得しており、その中にはルーマニアのマリア王妃やナポレオン公といったそうそうたる顔ぶれの時代で、翌年の1907年にはブラジルの富豪より要望を受けて、高精度なうえに様々な悪天候でも機能するクロノメーターを搭載した懐中時計を発表し商標登録も行っております。

1914年には新たな血がヴァシュロン&コンスタンタンに注がれることになりました。
社名にも刻まれているフランソワ氏の血を継ぐ、ひ孫のシャルル・コンスタンタン。このシャルル氏はジュネーブ時計学校で知識や技術を身に着けました。卒業後にはヴァシュロンの経営に関わるようになり、更なる発展が期待されていましたが、わずか数週間後に第一次世界大戦が勃発。彼は徴兵制により戦地に送られることとなってしまいました。
戦争を無事に生き残り、命からがらジュネーブに戻ってくるとシャルル氏は再度経営に参加。その後の1921年には、今までにない至高の時計が発表されました。それが、アメリカン1921でした。


写真引用:公式HP

アメリカン1921は、もともとアメリカ市場に向けた時計であり、製造本数もわずか24本。この時代の人々は、懐中時計から腕時計へとニーズが移り変わっていた時期でもあり、各ブランドからも腕時計の販売が盛んに行われていました。そんな中、最高峰の技術力と洗礼されたデザイン性を持つヴァシュロンが生み出したのがこちらでした。
後程詳しくご説明いたしますが、こちらの時計の独特なデザインはアメリカの車好きな方へ向けた時計であり、多くの注目を集めました。活気があり自由な文化がそこかしこにあった当時のアメリカの人々にとって、概念に捕らわれないデザインはまさに時代を映す鏡のような時計でもありました。

アメリカ市場に一石を投じたヴァシュロンでしたが、その後に訪れた世界恐慌の最中の1936年にシャルル氏が取締役に就任。1850年以来となるコンスタンタン家の人間がヴァシュロンに加わりましたが、後に同じ時計ブランドで高い技術力で知られていたジャガールクルト社がヴァシュロンと業務提携を結び、共同企業を設立しました。世界恐慌の中でも品質を落とさずに高級時計ブランドとしてあり続けたことにより、同じく高品質高精度な高級時計を扱っていたパテックフィリップに並ぶブランドとなりました。
1940年にはジョルジュ・ケトラーという人物が株式を買い取ったことで、119年という長きにわたってきた家族経営の歴史が幕を閉じてしまいましたが、ケトラー氏は優秀な経営者でした。最中に巻き起こっていた第二次世界大戦の影響を受けるも会社を守り続け、戦争終了後には終戦の記念としてピンクゴールドを使用したトゥールビヨンを搭載した懐中時計を発表。太陽の模様が彫られたその時計は、全世界が様々な悲しみや不幸、失意のどん底にまで落ちてしまった生活に新たな光と希望が太陽のようにまた昇ってくることを願うかのような存在でした。

 


⑥変わり続ける時代の中での変わらない挑戦

終戦後の復興が世界各地で進む中、1955年にヴァシュロン&コンスタンタンは創業200周年を迎えました。これを祝してヴァシュロンは世界一となる称号を得る時計を生み出しました。
ケースの厚みが僅か1.64mmという世界最薄の手巻きムーブメントを発表。これはジュネーブシールの認定も受けることとなり、薄型ムーブメントの代表作として知れ渡りました。また、同年にはスイスのジュネーブで行われた4巨頭会談、いわゆるジュネーブ会議にて集まった4つの各国首脳に、記念品としてヴァシュロンの時計をスイス政府から贈るための腕時計製作を依頼されたという逸話も残っています。

政府より依頼を受けるほどの存在となったヴァシュロン。世界恐慌や大きな戦争を乗り切った偉大なブランドを守り抜いたケトラー氏の存在もまた偉大であったと言えるでしょう。
そんなケトラー氏が1969年に惜しまれつつも亡くなってしまい、後を継いだのが息子のジャック氏でした。1969年と言えば、日本の時計ブランドであるセイコーが世界初のクォーツ時計の市販化に成功し、それを機にクォーツ時計の時代となったクォーツショックの時期でもありました。大量生産が可能なうえに精度も高いという点から、これまで機械式時計を作ってきたブランドにとって、クォーツ式時計にシェアが移行したことから機械式時計を扱っていたブランドにとっては【ショック】という言葉が使われていました。
ですが、ジャック氏もまたケトラー氏の血を継ぐ者として経営手腕も確かなものでした。引き継いだ翌年に現在のブランド名である【ヴァシュロン・コンスタンタン】という名前に変更し、現在まで続くヴァシュロン・コンスタンタンへと生まれ変わりました。
クォーツ時計の時代となっても、ヴァシュロンは培ってきた技術力と他にはない創造性でこれを乗り切ました。安価で高精度な時計が市場に溢れたクォーツショックの最中である1979年にはカリスタというラグジュアリーウォッチを発表。


写真引用:公式HP

こちらのお写真を見てお分かりになられるかと思いますが、全面にダイヤモンドが使われている近代的なデザインとなっており、なんと1キログラムもの金塊から作り出されております。全面に施されているダイヤモンドはエメラルドカットと呼ばれており、ダイヤ本来が持つ光を放つという特徴を持ち、貴族の間では王妃に送られるカットと呼ばれる加工がされており、合計130カラット、118個のダイヤモンドが使用されています。
この時計を一つ作るために、調整に5年、完成に6000時間を超えたそうです。
この力作は、当時の価格で500万ドルという値が付き、現在の価値で言うと約1100万ドルという驚きの金額となりました。
あえて時代の逆手を取るようなこういった戦略が、ヴァシュロン・コンスタンタンというブランドたらしめる所以であると言えるでしょう。

もちろん、こういったラグジュアリーウォッチだけではなく、以前より開発を続けていた薄型のムーブメントを搭載した腕時計が発表されると、時計の専門家や愛好家、コレクターの方たちからの大きな反響を呼び、1992年には世界で最も薄いミニッツリピーターを搭載したムーブメントの製作に成功。こちらは僅か3.28mmという薄さを誇り、製造数も200本限定という希少性でありながらもその技術力で大きな話題を呼びました。
そして1996年にはジュエリーや時計、ファッションブランドの運営元会社を傘下に保有する企業であるリシュモングループが、ヴァシュロンの株式を得たことにより現在まで続くリシュモンの傘下へと入りました。リシュモンに株式が移ったことで、今まで出来なかった様々なマーケティングや更なる生産体制の導入といったヴァシュロンにとって経営拡大に必要なノウハウを得ることが出来ました。

2000年代に入ると、より近代的なデザインを導入。女性向けのコレクションも発表したことで、時計コレクターや愛好家以外の方でも親しみやすい印象を与えました。2004年にはジュネーブ郊外にあるプラン=レ=ズゥアトに新しい社屋とアトリエを設立。長年本社を構えていたケ・ド・リルも同時に改装し、21世紀に入りヴァシュロンは新しい形へと生まれ変わりました。

その後もオーダーメイドで時計製造を行うサービスの開始や、膨大なインゴッドとダイヤモンドを使ったことで話題となったカリスタの後継機であるカラニアの発表、8年の歳月をかけて設計・製造した最先端の技術と伝統的な手法の組み合わせによって過去に例を見ない57個もの複雑機構を搭載した時計は【世界で最も複雑なオーダー時計】と褒め称えられ、時計業界は最高の盛り上がりを見せました。
21世紀に入り、発達した技術力は各ブランドでも注目を集めるようになりましたが、その中でもヴァシュロンは常に人々を驚かせる独創性を発揮し、これからも時計業界に欠かせない存在として未来永劫愛され続けることでしょう。

 


 

本日は一旦ここまで。
次回はいよいよ最終稿。ヴァシュロン・コンスタンタンが世界に誇る過去に発表したモデルから、現代までの主要ラインを中心とした時計をご紹介いたします。

次回へ続く

投稿者プロフィール

小山 亮介
OKURA事業部、販促企画担当。
大学卒業後、接客業を経てOKURAへ入社。
youtuberの時計企画で時計の魅力に染まり、店舗在籍時は時計担当に従事。
好きなブランドはウブロ、ヴァシュロン・コンスタンタン、ランゲ&ゾーネ、ロレックス
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