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沖縄の伝統衣装や小物などに使われる、多彩な色彩と大胆な図柄を持つ染物を紅型(びんがた)と呼びます。独特のデザインで見た人に大きなインパクトを与える紅型は、京友禅や江戸小紋などとともに、日本を代表する染物の一つに数えられています。しかし、その製法や歴史についてはあまり知られていません。
この記事では紅型の概要や種類、特徴的な製法、歴史などについて詳しくご紹介します。また模様が持つ意味についても解説します。
紅型とは一体何?
紅型は沖縄で独自に育まれた技術を使って作られた染物の総称です。沖縄の風土に合わせて豊かな自然をモチーフにした、鮮やかな模様が特徴として挙げられます。正式名称は「琉球びんがた」といい「びん」は色彩「がた」は模様を表しています。
起源については諸説あるものの、沖縄が琉球王国だった時代までさかのぼるという説が有力です。かつての琉球王国が近隣諸国との交易を通じて取り入れた染色技法を、独自に発展させたのが紅型だといわれています。当時は主に王族や士族の衣装用の生地として使われていました。
現在では伝統衣装や小物を始め、振袖などにも使用されています。なお歴史上・芸術上の価値を認められた紅型は、1973年に沖縄県の無形文化財に指定されています。
紅型の種類とは
紅型は彩色の技法によって「紅型」と「藍型」の2種類に分けられます。ここではそれぞれの特徴をご紹介します。
紅型とは
紅型は赤や黄、青、緑などの明るい色を基調とした華やか、かつ大胆な色使いが特徴です。特に位の高いとされていた黄色に関しては、かつては高貴な人々のみが着用できる色でした。
また黄色以外の色や生地の素材も、着用できる人が厳格に区別されていました。例えば、生糸で織られた生地は、王族の礼装にしか使われません。また王族が平常時に着用するのは、白上布や白木綿を素材とする水色や茶色の生地です。同様に貴族の礼装ならびに平常用の衣服も素材や色が決められていました。
藍型(イェーガタ)とは
藍型(イェーガタ)の特徴は、藍や墨の濃淡で色が表現されていることです。全体は落ち着いた色調を基本とする一方、赤や黄などの差し色が使われることもあります。昔も今も夏の着物に多く用いられている技法です。
紅型の現在までの歩み
紅型の独自の技法や芸術性は、どのようにして現在まで伝承されたのでしょうか。ここでは誕生から現在までの歴史についてご紹介します。
紅型の始まり
15世紀頃にはすでに、沖縄に紅型が存在していたとされています。琉球王国はかつて諸外国との貿易の拠点だったことから、当時のさまざまな国の技法を取り入れて発展してきたと考えられています。
そのため沖縄の自然には存在しない物も模様として描かれている点が、紅型の特徴の一つです。古典柄のモチーフからは日本や中国だけでなく、東南アジアやインドなどの影響も受けていることが確認できます。
紺屋と呼ばれた紅型の職人たちを士族として首府である首里に住まわせるなど、琉球王府は積極的に紅型を保護したといわれています。保護の下で紅型は発展を続け、貿易品や王族の衣装などの高級品として定着しました。
紅型の危機
紅型は17世紀以降、度重なる危機を迎えます。まず17世紀初頭の薩摩からの侵攻によって多くの型紙が消失したり持ち去られたりしました。一方で、江戸幕府との貿易によってもたらされた染物は、紅型の発展にも影響を与えたと考えられています。
加えて、さらなる危機が紅型を襲いました。19世紀後期に琉球王府が解体されると、保護を受けられなくなったことで一時的に衰退してしまいます。
戦後から現代までの紅型
沖縄は第二次世界大戦により深刻な被害を受け、紅型の型紙や道具の多くも失われてしまいました。しかし、戦後に「城間栄喜」と「知念績弘」という2人の人物が紅型の復興を目指して動き出します。
紅型三宗家として王朝時代から続く城間家と知念家を継承する2人は、懸命に努力を続けました。軍事地図を型紙にしたり目覚まし時計の針をナイフにしたりといった工夫で物資不足を克服し、1950年に紅型保存会が結成されます。1973年に紅型が県の無形文化財に指定された際、2人は技能保持者に認定されました。
紅型の製作工程と特徴
紅型の製作工程は、主に型彫り→型附け→色差し→隈取り→蒸し→水元の順に行われます。ここからはそれぞれの工程の内容や特徴などについてご紹介します。
1:型彫り(カタフイ)
型彫りとは生地を染める際の型紙を作る作業のことです。薄紙に描いた下絵を渋紙に貼り、細かい模様の部分から「シーグ」と呼ばれる小刀で彫り進めます。下敷きには、島豆腐を乾燥させて固めた「ルクジュー」という手作りの道具を使います。
2:型附け(カタチキ)
布に型紙を置いて防染糊をヘラで付ける作業は、型附けと呼ばれます。もち粉と糠で手作りされた糊を使い、型紙に沿って生地に模様を描きます。
3:色差し(イルジヤシ)
生地に色を付ける作業を色差しといい、生地に色を付ける動作のことは「色配り(イルクベー)」と呼びます。紅型特有の鮮やかな色彩は、主にイルクベーによるものです。
色差しの工程では、すり潰した鉱物性の顔料を大豆の汁でできた呉汁という液で溶いて使用します。明るい色から暗い色の順に色を差した後、さらに濃い色を重ねることで鮮やかな色彩を表現します。
4:隈取り(クマドウイ)
隈取りとは模様をぼかす作業のことです。色挿し時よりも少し濃いめの染料で柄の輪郭をなぞり、隈取り用の筆で擦りながらぼかしていきます。独特の技法により、立体感や透明感、遠近感を生みだしています。
5:蒸し
配色を終えた生地を蒸気庫に入れて20分ほど蒸すと繊維が開きます。開いた繊維の隙間に顔料が入っていくことで、色落ちや色ムラが発生しにくくなるという仕組みです。
6:水元
蒸した生地を水の中に浸すことで糊をふやかし、取り除いていく作業が水元です。生地が折れたり擦れたりして色が移らないよう注意しつつ、全ての糊を洗い流します。その後、生地を乾燥させれば制作完了です。
紅型の模様が表す意味とは
琉球王国で育まれてきた紅型の模様にはさまざまな意味があり、階級を表す物と風土を表現する物に分けられます。ここでは模様の意味についてご紹介します。
階級を表す模様
琉球王国時代、紅型は階級や性別などによって着られる色や模様が分かれていました。地色が黄色で豪華な物は「首里型」と呼ばれます。首里に住居を構える紅型三宗家が中国で修行をした王府の絵師の下で制作し、王族だけが着用できたとされています。
「那覇型」は一部の庶民が着用できた紅型です。「泊型」ともいわれ、首里型よりも比較的模様や色が落ち着いている点が特徴として挙げられます。
一方で、古琉球時代に生まれ、紅型の起源といわれているのが「浦添型」です。中国から伝わった印金手法を用いた摺込手法による型付けを特徴としています。蒟蒻糊で墨を摺り込むことから「蒟蒻型」とも呼ばれます。
風土を表す模様
紅型に描かれる模様には、自然をモチーフとした物が多いです。沖縄特有のハイビスカス、デイゴは定番の模様です。
一方で、近隣諸国との貿易によって発展してきた紅型には、他国の文化をイメージさせるような物も少なくありません。例えば、龍や鳳凰などは中国的なモチーフです。また萩や牡丹、雪などの日本的なモチーフからは、江戸幕府との貿易の影響を感じられます。
まとめ
紅型とは沖縄が琉球王国だった頃から存在する染物です。独自の製法によって生みだされる鮮やかなデザインは、現代でも多くの人を魅了しています。
なお紅型やそれ以外の着物で使用していない物がある場合は、着物買取専門店の「おお蔵」にぜひご連絡ください。シミや黄ばみがある着物でも買取対象にしています。また買取方法に関しては「店頭買取」「宅配買取」「出張買取」の中から選ぶことが可能なため、ぜひ自身に合う方法でご相談ください。
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