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古き良き時代と日本時計産業の台頭
古き良き時代と日本時計産業の台頭
2021年12月02日

目次

みなさん!こんにちは 当社コラムをご覧頂き誠にありがとうございます。

日本の時計業界は幕末~開国後明治維新を経て様々に発展してきました。

過去~現在までの国産時計について触れて行きたいと思います。

日本の時計メーカーは?と当社へご来店頂いたお客様に質問をすると返ってくる答えはSEIKOが最も多い回答でした。

国産時計メーカーは意外にも多数存在していて非常に面白いです。

近年ではCITIZENがSEIKOに迫る勢いで機械式時計販売シェアを取りに来ています。

各社の国内産地にも特徴があり、東北や信州に集中しており最高の環境で至高の傑作が誕生する瞬間など

ワクワクしますよね?

そんな国産時計の歴史や現在の名品など踏まえて見て行きましょう!


古き良き時代と和時計

大昔は太陽の位置でおおよその時刻を把握していたものと思われますが、今から7000年前の紀元前5000年ころに、エジプトで時刻の計測に日時計が使われていたようです。

古き良き時代と和時計

    (写真引用:日時計 Wikipedia)

そして、紀元前3400年頃には星により夜間の時刻を把握していた。その後、水、ローソク、油など様々な素材を用い「時」を計る時計が作られました。

AD(西暦)1090年に中国では脱進機をもつ大型の水時計(水運儀象台-天文観測時計塔)が作られました。

(面白い記事があったのでご参考までに)クリック⇒からくり時計と美術

1300年頃には重りを動力とする機械時計が誕生し、1462年頃にぜんまいを動力とする小型時計へと発達していきます。

時計技術の革新は、1582年頃にガリレオ(イタリア)が振り子の等時性原理の発見、更に1656年頃にクリスティアーン・ホイヘンス(オランダ)がそれを時計の振り子に応用する振り子時計の開発により、画期的に時計精度が向上しました。

1675年にクリスティアーン・ホイヘンスはひげぜんまいによるてんぷ式調速機を発明して、携帯時計をつくりました。

調速機

     (写真引用:Wikipedia てんぷ式調速機

 

更にその後、脱進機や調速機などの改良が加えられて機械時計が発達しました。18世紀にはパリ・ロンドン等で手工業による時計産業が発達し、19世紀にアメリカで合理的な生産システムが開発されて機械時計はめざましい発展をしました。

日本ではAD(西暦)671年に天智天皇が漏刻(水時計)で時を計り鐘や太鼓を打って時を知らせることを始めました。

 

天才技師 田中久重


江戸時代には時計師が、櫓(やぐら)時計、尺(しゃく)時計、枕時計などの和時計を作り、からくり儀右衛門こと田中久重は1851年に和時計の万年時計をつくりました。

和時計 田中久重 和時計 万年時計こと万年自鳴鐘

(写真引用:Wikipedia 田中久重) NHKドキュメンタリー番組引用URL:YouTube 田中久重

田中久重は東洋のエジソン からくり儀右衛門と言われ称賛されていた稀代の天才技師弓矢を射るカラクリやお茶を運ぶカラクリのおもちゃなど有名で田中久重が技師としての最高傑作を手掛け万年時計を製作、SEIKOのエリートチームが田中久重が製作した万年時計を解明の為、集結し、これに挑んだ。

上記YouTubeでご覧いただけます。


1872年(明治5年)12月3日に明治政府は太陰暦を廃して、1873年(明治6年)より太陽暦を採用して定時法に移行したため和時計の時代は終わりました。

1873年(明治6年)には八角型や四つ丸型のぜんまい式振り子時計(ボンボン時計とよばれていた)が初めて輸入され、その後日本各地で多くの時計メーカーが誕生しました。

1927年にアメリカで水晶を使ったクオーツ時計が発明されますが、それはタンスほどの大きさのあるものでした。

日本ではクオーツ時計の小型化・実用化に取り組み、1964年の東京オリンピックで携帯可能なサイズの高精度なクオーツ時計を完成させてオリンピック競技の計測に使われました。

そして、1968年にはクオーツ掛時計の商品化がなされ、1969年(昭和44年)には時計史上画期的なアナログクオーツ腕時計が発売されて携帯時計の精度は飛躍的に進歩しました。

続いて1973年(昭和48年)には液晶式デジタルクオーツ腕時計が発売され、1999年(平成11年)及び2001年(平成13年)に標準電波送信所が開設され、全国で正確な時を受信できるようになって、電波修正時計が相次いで発売されました。

 


クリスチャン・ホイヘンス

写真Wikipedia引用クリスチャン・ホイヘンス

数学、力学、光学、天文学、機械工学の広い分野に偉大な業績を残した人物。中でも、

光の波動説である「ホイヘンスの原理」や、土星の環の発見で有名です。

機械式時計の父としても有名な方です。

日本で海外製時計の本格輸入の始まり


1864年2月、スイスの特使と徳川幕府の代表者により修好通商条約が締結されました。

この二国間合意が土台となり日本とスイスの特別な関係は発展し、スイス製時計の日本への輸出が可能となりました。

しかし実は時計の輸出は、この時から始まったわけではありませんでした。

この長年待たれた条約締結の時点で、すでに何年も日本で時計のビジネスを営んでいた

1人のスイス人時計商人がいたのです。

その人物こそ、フランソワ・ペルゴ(François Perregaux)です。

写真引用URL:ジラールペルゴHP

明治時代頃の肖像画 (ジラール・ペルゴ参照)

ハンゾウという名前の貿易商人とフランソワ・ペルゴ

 

簡易的にジラールペルゴをご紹介


ペルゴは1834年6月25日、スイス北西部のル・ロックルという小さな町で時計職人の家庭に生まれました。

1847年の父親の他界を受け、ペルゴと2人の兄弟が父親の家業を継いだ時、

この地域は既に時計製造業で知られていました。しかし当時、時計業界の仕組みは現在とは異なっており、

生産は各地に分散し、産業化も行われておらず、結果として時計商人には生き残るために不可欠な新市場を

開拓するだけの財力がもたらされていなかったのです。

そうした数々の問題を克服し、ペルゴ兄弟は程なくスイスで最も国際的な時計メーカーの1つとして

台頭することになるのでした。


晩年のフランソワ・ペルゴ

現在横浜元町にある外人墓地にひっそりと静かに眠っておられます。筆者も献花のため数度訪れ冥福をお祈りしております。

とても尊敬しており、日本時計産業の発展に貢献され現代の日本に良い刺激を与え今日まで至る。

ジラール・ペルゴはファンのみならず時計業界に関わる全ての方から愛されています。

  写真2点引用URL:公式ジラールペルゴ HP

 

 

世界を驚愕させる出来事


1880年、クォーツの圧電効果がジャック・キュリーとピエール・キュリーによって発見され

ピエール・キュリー

フランスの物理学者。結晶学、圧電効果、放射能といった分野の先駆的研究で知られている

写真Wikipedia引用URL:ピエールキュリー

 

1880年、クォーツの圧電効果がジャック・キュリーとピエール・キュリーによって発見された。世界ではアメリカがテクノロジーで最先端をいっていて1927年にアメリカでマリソンが発明した世界初のクオーツ式腕時計の誕生である。

日本では1937年に古賀逸策という人物が国産第一号のクオーツ時計を開発しました。

そもそもアメリカが開発した水晶の弾性振動と圧電効果を利用した振動子を時間標準に使用している

時計は無線通信の発達過程で安定した周波数(振動数)を得るため水晶発振器、水晶振動子の研究が行われたが、

1927年アメリカのウォーレン・マリソンはこの水晶発振器を利用した世界初の時計を発明した。

1950年代後半から、スイスでは時計の精度を競う「天文台コンクール」において、

各社が時計の高精度化にしのぎを削り始めました。精度向上のために、テンプの振動数を高める必要がありますが、

それには強い動力ゼンマイが必要になります。

また、各歯車の回転数も早くなるため、部品の摩耗が進む原因にもなります。

そこで、強力な動力ゼンマイや耐久性の高いひげゼンマイ、素早い動きでも簡単に飛び散ってしまわない潤滑油、

小さな力で滑らかに駆動する精度の高い部品などが開発されていきました。

そして60年代に入り、8振動時計が市販品としても広まります。

鉄道の発達や工場生産管理高度化により、精度競争は更に激しさを増していきました。

激化する精度競争の中、1966年にスイスのジラール・ペルゴーが世界初の量産10振動腕時計を発売します。

それに続き、セイコーも、1967年に「ロードマーベル36000」、1969年「グランドセイコーV.F.A」の10振動腕時計を発売。


下記の写真が初代グランドセイコーV.F.A

写真SEIKO公式HP引用URL:グランドセイコー

上記の2枚目写真の商品は2018年3月に限定販売された復刻モデル

SBGH265:平均日差 3 秒~ ‒1 秒(グランドセイコー V.F.A. 規格検定合格品)

1970年までの間に各社がこぞって10振動腕時計を市場に投入しました。

しかし、時計業界の精度追求は機械式時計に留まりまらず「腕時計の電子化」の熾烈な開発競争が始まります。

1957年、米国ハミルトンによる「テンプ駆動式電池腕時計」1960年ブローバが開発した音叉時計「アキュトロン」の発売で、世界の時計業界に衝撃が走ります。

ブローバの音叉時計は360Hz、日差わずか2秒でしたが、更に高精度の時計を追及して、時代は「クオーツ」~クォーツショックへと向かいます。

クォーツショックの到来


1967年のニューシャテル天文台コンクールにセイコーとスイスのCEH社は、

どちらもクオーツ腕時計のプロトタイプを出品し、その後の世界初のクオーツウオッチの製品化を巡って

スイスとセイコーは熾烈な競争を繰り広げていましたが、1969年の12月に、

セイコーが世界初のクオーツウオッチ・アストロンを発売します。

写真引用URL:SEIKO公式HP →SEIKO

翌1970年4月のバーゼルフェアでは、CEH社のラドー、ブローバ、ユニバーサル、オメガなど数社がアナログクオーツ時計を出展しましたので、まさにタッチの差での勝利でした。

東京オリンピックの公式時計を計測ミスひとつなくやり遂げたことでブランド価値と知名度が大いに上がり、

自動巻メカと防水で大評判のSEIKO 5などの売れ筋ラインがあったことで、

世界中に「世界のセイコー」のフレーズと共にセイコーの商品が有名になり、欧米・アジアを中心に、

海外での販売代理店・現地法人網が急速に拡大されました。
1971年には、セイコーウオッチの総販売量1400万個のうち輸出が既に半数、

1978年には1900万個のうち2/3が輸出で占められるようになりました。
その一方でセイコーは、クオーツ化技術を更に押し進め、1973年には機械部品を一切持たない全電子化技術の

6桁表示液晶デジタルウオッチを世界で初めて発売します。

これは、秒表示可能な低消費電流の画期的な商品でした。

時計のデジタル化は、アジア・中南米などの新市場の開拓を伴う新たな需要を喚起したと同時に、

時計の生産体制の変革や時計産業への、他業種からの参入をもたらしました。
1970年代末から1980年代初め頃には、時計ムーブメントの他社への外販も始まり、

香港・台湾・中国勢が時計部品の製造を開始するようになって、量産化によるコストダウンが急速に進みます。

これが時計全体の価格レンジに影響を及ぼし、クオーツ・メカを問わず、

世界的に時計の価格競争が激しくなり世に言うクォーツショックの始まりです。

日本の生産全体に占めるクオーツ化の比率は、1979年の時点で、

ウオッチが6000万個のうちアナログ・デジタルほぼ半々で併せて55%程度、

クロックは4400万個のうちクオーツが50%で、残りの8割以上も電子化技術(電池式か交流電気式)が占めており、

翌1980年、全体の生産数では、ついに時計王国スイスを抜いて世界一となりました。


クオーツ量産ラインの写真公式HP引用:SEIKO

これらの多くが輸出に充てられた結果、伝統に縛られていた多くのスイス・アメリカの時計ブランド・メーカーは、

時計の量産化、クオーツ化への対応が遅れ、壊滅的な打撃を受けます。たとえば、

スイスからの時計の輸出は、80年代前半には、過去最高を示した1974年の1/2に減ってしまいました。

アメリカでは、ウォルサムが日本の企業に買収され、スイスでも同時期に起こったスイスフランの高騰、

オイルショックによる生産コスト・原材料の上昇、人件費の上昇などによって売上が激減し、

多くの時計メーカーが廃業に追い込まれました。

一説によれば、1970年に1600社以上あったスイスの時計企業が1980年代中頃には600社を割り込み、

時計産業の就業者数も、1970年の9万人から1984年には3万3千人に激減したと言われています。

特に、スイス・アメリカには従来ロスコフ・ウオッチというピンレバー方式の大衆メカ時計があり、

これが時計産業の下支えをしていたのですが、この領域が低価格で精度の良いクオーツウオッチによって

壊滅してしまいました。

スイスの時計産業は、もともと水平分業による製造方式を取っており、ブランドや部品ごとに生産規模の

小さい時計メーカーが多数存在していました。

伝統的な技術をもった独立系の中小規模経営の家族的企業が、それぞれ異なる自社もしくは系列化にある

ブランドの部品を製造し、協同組合によって全体の運営がなされていたのです。

70年代終わりでも、リーダーシップを取る企業グループは存在せず、そのために、

生産システムとマーケティングの両面で合理的なまとまりを欠き、電子化の先端技術への積極的な対応や、

業界全体として組織的・戦略的な対応が遅れてしまったのです。

少数の日本メーカーが、クオーツ、メカ、その価格帯を問わず合理的な量産による生産システムと

集中したマーケティング戦略によって市場を拡大してきたこと、

ドルに対して円は安定していたもののスイスフランが高騰していた事も、痛手でした。

 

スイス時計産業 巨大マーケットの鼓動


この逆境に対してスイスは新たな組織と戦略で対応します。

もともと提携銀行側でコンサルタントをしていたニコラス・G・ハイエック氏の案で、

経営が行き詰まっていた大手2社、オメガ・ティソを主体にしたSSIHと、

ロンジン・ラドーを主体にしたASUAGを合併させて、1983年にSMHという新たな組織を設立します。

生産システムの合理的な再構築と、新たなマーケティング戦略の再検討がこの合併の狙いでした。

SMHは手始めに、ファッションを切り口にした50フランの安い値段のシーズン

使い捨てアナログウオッチ「スウォッチ」による画期的な“スウォッチ戦略”によって、

失ったボリュームゾーンを蘇らせるのです。

 
 写真スウォッチ公式HP引用URL:スウォッチ

1983年から販売を開始したスウォッチは、巧みなマーケティングと宣伝販促によって

1986年には全世界で累計2300万個、1992年には累計で1億個を達成し、

1993年の年間販売数は3000万個にも昇るといわれました。スウォッチのイノベーションは、

単に部品点数の少ない製品の合理的な生産システムによる大量生産・コストダウンのみならず、

ファッションを切り口にして、シーズンごとに売り切り、地域性のないグローバル・ブランドの

マーケティングをしたことです。

全世界のお洒落な国際都市の中心街に、「スウォッチ・ショップ」を作って効果的PRによる大量販売に成功し、

安くてもお洒落で付加価値が高いというビジネスモデルを創ったのです。
この量産効果による収益で、工場の再稼働や雇用の再創出を生み出し、スイス時計産業のベースが再興されました。

もうひとつの改革の柱は、グループ全体をその製造機能やブランドのポジショニングで

合理的・効率的に再編して、組織・人員のリストラ・配置換えを行ったことです。
まずは、今までオメガやロンジンなど各ブランドがそれぞれ独自に行っていた

ムーブメントの製造・組立をすべてETA社(旧エボーシュ社)に集約させる一方、

SMHに所属するブランドは全て、ETAからムーブメントを調達するようにしました。
ETAは、ムーブメントの種類も集約して、SMHのブランド間で共通に用いると同時に、

グループ以外のスイス・他国の時計メーカーにも積極的に売り込みを計り、集中的に製造することで、

コストを下げながら効率的に売上を拡大していきます。
また、傘下ブランドのポジショニングの重複に留意し、

選択と集中によって各ブランドのコンセプトの違いをはっきりさせ、

相互補完的にリポジショニングしながら、モデル数を絞ることで、生産・マーケティング両面での合理化を図りました。
たとえばオメガはモデル数を極端に絞って、ブランドの個性や付加価値を際立たせながら、

宣伝モデルは世界共通にしてイメージの統一性を図るなど、スウォッチで導入したグローバル・ブランドとしての

マーケティング戦略を採用しました。
オメガには、グループ内の基幹ブランドとして、特に資源を集中投下しました。

付加価値の高い機械式ムーブメントや優れた外装デザインに集約させ、ブランドのもつ歴史や遺産に焦点をあてたり、

有名なブランド・アンバサダーを使った巧みな宣伝販促を行ったのです新たな大規模グループによる、

生産システムとブランド・マーケティング両面での巧みな「選択と集中」戦略は、

スイスの提携銀行グループの信用を勝ち取り、多大な融資を得て、業界全体を段階的に復興させていったのです。

その後、SMHは部品の製造下請企業を次々に買収する一方、中国・タイなどでの生産の国際分業などによって、

より合理的な生産システムをグローバルで確立していきます。

一方で、世界各地でブランドごとに分かれていた販売代理店・チャネルを統合し、

複数ブランドのマーケティング・宣伝・IT・財務・物流・アフターセールスサービス等を

一手に引き受ける1国1代理店・現地法人網を築き、グローバルなブランド戦略を推進していきます。
1985年のプラザ合意以降、急激な円高ドル安が進む中、日本メーカーが急速に競争力を失っていった一方で、

スイスフランは好転していたことで、スイスメーカーに為替相場の追い風が吹いた事も、

復興推進の重要な要因となりました。

スイス機械式時計の復活


機械式時計の複雑なムーブメント写真引用URL:タイム ギア

機械式時計は、高精度の高級品でも1日に数秒程度の進み遅れの誤差が生じるために、

時刻を知るための道具として精度の優れたクオーツ時計との競争に一旦は敗れ去りましたが、

逆に機械式ならでは味わいを生かした嗜好品として再評価されていきます。

それぞれのブランドが持つ長い歴史と伝統によるステータス性、部品の手造り加工や磨き、

彫刻、宝石加工などによって職人が生み出す芸術的な匠の技術、

機械式ムーブメントならではの精緻で複雑な構造と機能や、ムーブメントに新しい機構や素材等の先端技術を

導入した高付加価値性などが宣伝・PRによる効果的なイメージ訴求によって、

高価格帯の領域におけるラグジュアリー時計ブランドビジネスとして、確立していったのです。
安定した欧米経済や、中国を初めとしたBRICS諸国の台頭による新興国での旺盛な需要のお蔭もあって、

世界的に付加価値の高い機械式時計の売上は年々増加し、1991年から2011年までの20年間で、

スイス時計の輸出総額は約4倍にも拡大しました。

 

海外大手時計グループの再編


こういった機械式時計のラグジュアリー化という時計市場の大幅な拡大を背景に、

1995年以降大手グループによるラグジャリー領域の時計ブランドの買収・再編が一段と加速します。
SMHは1992年に世界最古の時計ブランドといわれているブランパンを買収し、

1998年にスウオッチ・グループと社名を変更した。(ちなみにSMHはスウォッチグループの前身名。

ASUAG-SSIHを母体にして、1985年に創業。84年に成立したASUAG-SSIH)

ブレゲ、ジャケ・ドロー、グラスヒュッテ・オリジナルなどの高級ブランドを買収します。

また、カルティエ、モンブラン、たばこブランドなどを有していたヴァンドームグループは1988年に

リシュモングループという社名のもと再編し、以降ピアジェ、ヴァシュロン・コンスタンタン、

パネライ、IWC、ジャガー・ルクルト、ランゲ&ゾーネなどの時計・宝飾ブランドを相次いで買収します。

世界最大の高級品グループLVMHも1999年以降時計製造販売に投資を始め、

ゼニス、タグ・ホイヤー、ウブロ、ブルガリなどを買収し、多くの有名高級ブランドが、

大資本グループの傘下に再編されていきました。
こういった2000年前後の大手ブランドのグループ化は、時計流通網の垂直統合による再編をも促しました。

この狙いは、自ら小売販売まですることで、顧客との接点である販売の現場の質を向上させ、

自ら小売による大きな収益を吸収することです。大手グループは、従来からの取扱い小売店に対しては

、取扱いブランドごとの仕入・販売ノルマや陳列スペース、陳列方法などの厳しい約束事を課し、

ブランドイメージに沿った店だけに絞りながら、高級化イメージを持つ直営のブティックの出店を増やしていきます。
こうして特にラグジャリー領域の時計ビジネスは、製造から顧客との接点である店頭まで、

全てのバリューチェーンをコントロールする競争に変わってきています。

 

現在の日本の国産時計と電波&衛星を利用した時計開発


コラムの冒頭で、お話をしましたが世界的に国産時計の認知度は意外にも低く1987年代に日本で携帯電話が普及され、2000年代に突入した新世代の若年層や青年達が普通に携帯電話を持つようになり、

携帯電話所有率が爆発的に伸びたことが原因で腕時計所有率の低下に繋がっている事が原因と考えられる。

携帯電話の良い点は電波塔から電波受信の際に常時正確かつ安易に時刻が確認できる事であり

また携帯電話機能によってアラームをセットできスケジュール管理がしやすくなった。

その反面、電池管理のため長時間使用が困難で通話やメールネットサーフィンで

電池消費量が増え液晶表示時間が短くスケジュールや時間管理がしずらい。

昨今では勤務中の携帯電話使用を禁じ企業の業務漏洩に懸念が生じ漏洩防止の為使用禁止が増えている。

どんなに便利な精密機器でも、反面は不便だと筆者は考えます。

やはり腕時計は必需品で、あらゆる場面に対応でき、愛着や世代継承ができる財産であろう!

その中で携帯電話に対抗できうる電波時計の誕生など近年では電波時計に

機能を+してGPSを搭載したモデルも登場している。

簡易的に言えば電池時計もしくは機械式時計に分類されるが家宝や財産として

100年先を見越して孫の代まで使って欲しいと願い機械式時計を選ぶべきだが

交通関係従事者(パイロット・鉄道関係など)は電波時計もしくはGPS時計を選んで欲しい。

海外には名が知れたROLEXやOMEGAなど舶来時計に目がいくが日本には有名な国産ブランド時計があり

日本人でしか出せない綿密で繊細な時計を模索して購入希望者にとって楽しいひと時を味わいながら

良い意味で悩んで選んで頂きたいと思う。

そんな中、下記にて現在の国産時計メーカーをご紹介し改めて凄いぞ!日本!!を感じて頂きたい。

現代の名品と日本の時計メーカー


MIYOTA MOVEMENT(ミヨタ ムーヴメント)はCITIZENグループに属している安価で高精度のモジュールを製作している日本屈指のモジュール専門社で簡易的な設計図をHPで公開しており、その反面、絶対的なモジュールに自信の表れであろう。

MIYOTAの良い所は細やかな部品製作など可能な限り体制を整えたメーカーであるところだ。

写真公式HP引用URL:MIYOTA MOVEMENT(ミヨタ ムーヴメント) キャリバー6P28 クォーツ

オリエントは秋田県湯沢市の工場で数々の機械式時計を手掛ける数少ないメーカーの1つである。

2009年にエプソンの機能子会社となりましたが現在でも数々のメカニカルウォッチを手掛け従来のロイヤルオリエントのイメージを一掃し複雑かつ便利な機能が備わっているがシンプルで視認性が高い作品を多く手掛けている。

写真オリエント公式HP引用URL:オリエント

CITIZENは埼玉県所沢市に本社工場を構え電波時計やクォーツなど最も薄型でシンプルな時計を製作するメーカー。

近年では海外ブランドメーカーを買収し本格的に機械式時計を作っており名作シリーズ8を発表し話題になりました。

引き算の美を最高に引き出し表現したCITIZENの本気が伝わる作品です。

写真公式HP引用URL:シリーズ8  CITIZEN

 


 

SEIKOは数々の名作を排出し2つの工房で織りなす作品が有名で岩手県雫石町にある工房はグランドセイコーを手掛けており世界有数の真のマニファクチュールと言えよう。

また信州にある長野県塩尻に工房がありグランドセイコーとクォーツ誕生の地として知られている。

初代グランドセイコーを製造した諏訪精工舎の時代から続く伝統が根付いており2017年バーゼルワールドで発表したグランドセイコーを独立ブランドとして確立させている。

国内屈指の時計メーカーであり筆者注目ブランドの一つです。

写真GRANDSEIKO公式HP引用URL:SEIKO

 


 

カシオは1983年(昭和58)耐衝撃腕時計G-shockを発表して以来ロングセラーとなり現代も爆発的な人気を誇る。

特にDW-5000系と言われるシリーズは特に人気で限定モデルが発売となるや即日完売などあり得る人気ぶり。着目は、価格と衝撃に強いことだ。

若年層から高齢者まで幅広い支持を得ている。今後のG-shockに着目していきたい。

 

写真Casio公式HP引用:Casio

 

ジェイピーエヌ メイドイン ジャパンはEAU ROUGE(オールージュ)が日本製ウオッチブランド「JPN(ジェイピーエヌ)」を立ち上げた新進気鋭の日本製時計ブランドだ!

デザインを見て頂けたらお分かりだろうがスポーティかつ衝撃に強い事が特徴。

また着け心地に拘ており軽量かつ装着時のよく時計作品では非常に珍しいタキメーターを日本語表記に採用している。

低価格から中価格帯のラインナップで時計業界へ躍進を目指すメーカーである。

 

写真JPN公式HP引用:JPN

 

秋田県雄勝郡羽後町に本社があり秋田県湯沢市に時計工房を構える日本時計業界でも異彩を放つ時計メーカーだ。

一本の時計にとことん向き合うことで育まれたHiZ シリーズ。

ケースサイドはシースルーになっておりムーブメントをのぞき込める面白い趣向だ!

国内時計の作品の中でも角型ケース(スクエア型)が数少ないすっきりしたデザイン。

失われつつあるザラツ研磨の技法で仕上げた時計ケースとブレスレットの美しさを堪能して頂きたい。

写真MINASE公式HP引用:HiZ シリーズ MINASE

 

締めくくりとして


2020年2月以降は、コロナウィルスによる外出自粛や休業の影響で需要は大きく減退しました。

また、CITIZEN時計においては、スマートウォッチの勢いに押され苦戦が続く中、

コロナウイルスが追い打ちとなり、完成品やムーブメントの販売が急激に落ち込みました。

国内時計業界を牽引してきた中国人の訪日数減退や観光客による爆買い需要は急落

一方で東南アジア系のインバウンド需要は好調でしたが、

こちらも新型コロナウイルスの世界的感染拡大で状況は一変しています。

今後は以前のような大きなインバウンド需要が見込めないことからEC販売の強化や拡大を促進するものの、

先行き不透明感も漂っています。

今後の国内時計業界に着目していきたいと思う。

 

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投稿者プロフィール

松島 正明 なんば戎橋店アシスタントマネージャー
高校卒業後、建築関連会社に入社し、歴史的建造物の屋根修膳などに携わる。
その後時計の正規販売店でブライトリング・IWC・ブランパン・オメガを担当したのち、OKURAへ入社。
得意ブランドはブライトリング、オメガ、パテックフィリップ、ランゲ&ゾーネ、ヴァシェロン・コンスタンタンなど時計に関して多岐にわたる
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