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宝石の世界は〇〇の王といった呼び名が好まれる。
王の宝石商にして宝石商の王と呼ばれたカルティエや、キングオブダイヤモンドと呼ばれたハリー・ウィンストンなどはその最たる例ではないだろうか?
だが、キングオブダイヤモンドと呼ばれるブランドはいくつか存在する。
先述したハリー・ウィンストンの他にティファニーもその称号で呼ばれたことがある。
では、21世紀のキングオブダイヤモンドと称されたイギリスのブランドはご存じだろうか?
それは1960年に創業し、創業からわずか60年でジュエリー界のトップクラスにまで上り詰め、世界中のセレブや王侯貴族を顧客に抱えるまでになったブランド『グラフ(GRAFF)』である。

(写真引用:グラフ公式HP)
グラフの創業者はローレンス・グラフ。創業者の名前からブランド名がつけられている。
ローレンス・グラフはダイヤモンドへの情熱と、宝石を見極める才能、また類まれなるビジネスセンスを持ち合わせた天才と称されることもあるが、才能に恵まれ成功したのではなく、努力と情熱でその地位を築いたと本人が振り返っている。
同じようにダイヤモンドに情熱を注ぎ若くしてその才能を発揮したことで有名なハリー・ウィンストンと比較しても違いは鮮明である。
12歳のころより宝石に対する鑑定眼を有しリサイクルショップの中から質の良い宝石を見つけ出したハリー・ウィンストンに対し、15歳のころに「これ以上の成長は見込めない」「この業界にいても将来はないだろう」と雇用主から言われたローレンス・グラフ。
今となってはその雇用主に人を見る目が無かったのか、あるいは本当に才能を感じさせるものが無かったのかは分からない。だが間違いなく言えるのは、彼にとってその言葉はより多くの情熱を注ぐきっかけとなったという事だった。

(写真引用:グラフ公式HP)
18歳の時にローレンス・グラフは独立をし、ジュエリーの修理工房をスタートさせる。
勤勉で強い情熱を持ち合わせ、時にはリスクを取る勇気を併せ持った彼のもとに成功のチャンスが舞い込むのは必然だったといえる。そしてそれと同時に、歴史に名を残すほどの才能が開花する瞬間がやってきたのだった。
ある時ローセンス・グラフはダイヤモンドディーラーと出会い、33石の小さな宝石を仕入れることに成功する。通常であればその石を使い小さな宝石を使い複数のリングやイヤリング、ネックレスなどを制作するだろう。だが彼はそれを嫌った。そして33石のすべてを使いボリュームのあるリングの制作を行ったのだった。
この時に作成されたリングは、誰かからの依頼を受けて制作されたものではない。
また、当時はまだ名もなき無名の工房を営むに過ぎないローレンス・グラフ。特別な顧客を抱えているわけでもない。自らの店頭に飾るわけでもなく、それを売り込まなければならない。つまり売れることが確約しているわけではないのである。にもかかわらず、仕入れた宝石をすべて使い一つの製品を作るという行為は大きな賭けのようにも見える。
だが当の本人にはそのような意識は一切なかった。手元にある宝石たちがもっともエレガントで美しいきらめきを放つ手段がそれだった。ただそれだけだったのである。
この時に制作されたリングはイギリス北部のジュエラーに販売された。拠点にしていたロンドンから納品に赴くローレンス・グラフ。買い手が見つかり安心したのも束の間、ロンドンに戻った彼のもとに届いたのは、納品したリングの買い手が決まった。同じものをすぐにまた購入したいという依頼であった。
これは世間が一人の天才を見出した瞬間だったといえる。そして彼が正当な評価をされるようになった瞬間でもあった。
この再制作の依頼に対し全く同じものではなく、1石のダイヤモンドの周囲にダイヤモンド6石を散りばめ、更にその周囲を12石のダイヤモンドで取り巻くというクラスターリングを創り出した。天才のもとにデザインが舞い降りたのであった。

(写真引用:グラフ公式HP)
その後、クラスターリングは非常に人気を集め、ダイヤモンドだけでなく中央にエメラルドやルビー、サファイアをセッティングした作品も作り出されるようになった。この成功をもとにグラフの前身である、グラフダイヤモンズ社は1960年に設立されたのであった。
その二年後の1962年にはイギリス・ロンドンのハットンガーデンに最初の店を構える。
当時の宝飾業界は伝統を重んじることに重きを置いていたこともあり、工房と卸売りを主体としていた時代であった。それに疑問を感じたローレンス・グラフはより刺激的で革新的なジュエリーのクリエイトに取り組んでいく。その取り組みは1966年に受賞したダイヤモンド・インターナショナルによって非常に優れたデザインであるという事が証明された。
1967年からは自身のデザインを披露するため世界を巡る旅に出る。世界各地で展示会を開いては成功を繰り返し、アジア諸国の富豪、石油王やブルネイ王族、中東の王族などから信頼を得ることにも成功する。また世界の王侯貴族や大富豪を相手に良質で大粒な極上のダイヤモンドの取引をするようになり、取引を重ねることによってその信頼と知名度を絶大なものにしていくのだった。
1973年にはイギリスで最も権威ある賞といわれているクイーンズ・アワードを受賞する。
翌1974年に新店舗をロンドンのナイツブリッジにオープンするとのことだが、その信頼は絶大なものになっており「GRAFFに行けば最上のダイヤモンドがそこにある」といわれるほどになっていた。
だがそれほどまでの信頼を勝ち得たことも今となっては納得せざるを得ない。なぜならGRAFFは最も歴史的なダイヤモンドを扱ってきたという実績があるからである。

(写真引用:グラフ公式HP)
Dカラー・フローレスという色の評価と透明度の評価で最高評価を得た137.82ctのザ・パラゴン

(写真引用:グラフ公式HP)
史上2番目といわれる巨大な原石より切り出された302.37ctのザ・グラフ・レセディ・ラ・ロナ

(写真引用:グラフ公式HP)
世界最大のスクエアエメラルドカットを施された243.96ctのザ・マグニフィセンス

(写真引用:グラフ公式HP)
クッションカットを施された132.55ctのイエローダイヤモンド、ザ・ゴールデン・エンプレスなど
驚くべきことにこれらはグラフの歴史の一部であり、公表されているだけでもこの他にいくつもの名前があがってくる。明確に公表されているものは1970年代以降であるが、突然歴史的なダイヤモンドの取り扱いを始めることなど不可能である。
それ以前にも、その下地となるような活躍があったことは容易に想像できる。
「GRAFFに行けば最上のダイヤモンドがそこにある」
その言葉がささやかれるようになったのは、長年にわたり積重ねた信頼と実績が世界中の人たちに認識されるようになった証なのではないかと思う。
たったの1代で、かつ60年ほどの歴史の中でこれほどまでに大きな信頼を勝ち取ったブランドは他にない。まさに唯一無二の存在である。ローレンス・グラフ自身もその功績を認められ、クイーンズ・アワードを計4回受賞することになる。大英帝国勲章受勲なども果たしているが、どんなに地位と名声を得たとしてもローレンス・グラフのダイヤモンドに対する情熱は少しも変わらないと本人は語る。
安定して高品質なダイヤモンドを確保する為に南アフリカに発掘・供給会社を保有し、熟練の加工職人を擁し、研磨工場をも自社で保有するグラフ。ダイヤモンド発掘から研磨、カットまでを一貫して自社で行うグラフはダイヤモンド生産量で世界最大規模を誇る。
イエローダイヤモンドに関しては、供給量全体の3分の2を占めるとまで言われている。
そのなかで最も高品質な物のみを自社ブランドである『GRAFF』に用いて、残りは一般の流通用に卸しているそうだ。だがこの取り組みも世界のダイヤモンド流通を席巻するためではない。すべては高品質なダイヤモンド製品を作り続けるためなのである。

(写真引用:グラフ公式HP)
日本には2007年に初上陸したGRAFF。日本における知名度はそこまで高くはない。それこそ知る人ぞ知る名門のような認知度である。だがそれは今だけかもしれない。
なぜならGRAFFは創業時と変わらない情熱を今も持ち続け、その革新的な世界観を少しも変えていないからである。
いつまでも変わらない情熱、その情熱に世界中の人々が魅了されるのはもうすぐなのかもしれない。
21世紀のキングオブダイヤモンドGRAFF
それは21世紀以降のキングオブダイヤモンドにいつしか名称を変えているのではないか?そんな期待をしてしまう高貴な宝飾ブランド。それこそがGRAFFなのだ。
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